2012年03月20日

「合意してないプロジェクト」からの抗議声明に賛同署名を!



沖縄東村の高江では、米軍ヘリパッド移設(というか新規建設)に対し座り込みという平和的抗議活動をしていた住民二人が国から訴えられ、うち一人には「妨害した」というトンデモ判決が下りてしまいました。
権力を容易に行使できる側が、構造的に弱い立場に強いられている人間に対して更なる権力(暴力)を行使するというこのような「訴訟」は「SLAPP訴訟(Strategic Lawsuit Against Public Participation」と呼ばれています。簡単にいえば、司法の濫用です。言い換えれば、司法を権力の都合のための道具にするということ。

この訴訟については「やんばる東村 高江の現状」(<---ここクリック)を見てください。このブログでたくさんの新聞記事も掲載しています。ここでも、一つだけ掲載させてもらいます。

「高江判決を問う緊急インタビュー(下)」『沖縄タイムス』2012年3月18日。
20120318規制の網戦前を想起0001.jpg

まったく、政府・行政にとって「何でもアリ」という状況がずっと続いています。

文句を言わない「いい子ちゃん市民」である場合に限り、目に見えた権力の行使はしませんよ、というこの政治・社会状況に吐き気がするので、逆に文句を言わないではいられない。

というわけで、このトンデモSLAPP訴訟に対し抗議の声が上がっているので、以下に掲載します。


高江SLAPP訴訟一審の不当な判決に対し、強く抗議する。

 第一に、この裁判はSLAPP訴訟として徹底的に批判されなければならない。
 国という人格のない象徴的で強大な権力に、ひとりひとりの住民が個人として対峙させられた。この裁判のために当事者たちが経済的にも精神的にも重大な人権侵害の状態に追い詰められたことは、当初から多くの論者によって厳しく批判されてきた。日本における恫喝訴訟(SLAPP: Strategic Lawsuit Against Public Participation、政治参加する市民を恫喝する目的で戦略的に法廷を用いる提訴)の先鞭的事例として、充分に論議を汲み尽くすことが求められていたはずである。
 本訴に先立つ仮処分申立から一貫して、法廷で国側が提出した大量の証拠の大半は全く無用のものであった。いやむしろ、高江住民と支援者の抗議行動が非暴力直接行動の信念に貫かれた市民としての正義を行ってきた事実を示す記録そのものであったと言ってよい。国側は勝訴を求めてではなく、手段として裁判を用いたことは明らかであった。
 すなわちこの裁判は不当判決以前に、不当訴訟なのであり、裁判所は審理に入るのでなく未然に、即座に請求を棄却すべきであった。それが弾圧を目的として悪用される提訴に対処する唯一の方法であったはずである。それにも拘わらず裁判所は、訴訟指揮に拘泥し住民を振り回し続けた。これは人権を保護すべき法廷による重大な過失ではないか。裁判所そのものが共犯的に人権侵害に与したと言わねばならない。
その上、判決では「妨害予防請求は手段にすぎないと言うべきで、請求の内容から直ちに被告らの主張する恫喝目的がうかがわれるものではない」と述べ、手段としてのSLAPPを容認し、国に対峙する住民のおかれた社会的立場を一顧だにせず、議論を深める機会を逸したのである。

 第二に、この判決は表現の自由に対する深刻な侵害として批判されなければならない。
 当事者たちの抗議行動が「純然たる表現活動の範疇を超えている」との文言は、極めて表層的で閉じられた法廷的解釈論に過ぎない。そもそも表現活動とは何なのかについて人間的で社会的な理解がみじんも感じられない。本法廷が、「純然たる表現活動」をどのように定義し、その範疇とはどのように制限され得るもので、なぜ当事者たちの抗議行動はその「範疇を超えた」と言えるのか。こうした基本的な説明不在のまま、表現活動の可否を裁判所が判定に及んだことは、将来の基本的人権の侵害にもつながる非常に危険な判決であると言えよう。

 第三に、この判決が当事者となった二人について判断を分けたことは、社会運動に対する驚くべき無理解として指弾されなければならない。
 抗議する社会運動とは、思いを寄せる人びとの協働によって即興的に織りなされる豊かで創造的な人間の行為である。それを、限定された瞬間に切り縮め、個人によって切り分けて責任追及することが、果たして可能なのだろうか。また、協働する人びとを判決で差別化することは、社会運動がもっとも大切に守り育てている協働そのものに対する攻撃である。分断によって運動を解体させようとするのは権力の常套手段であるが、それを裁判所が発動したことに他ならない。果たして裁判所は自らがそのような地平に立って裁断に及んでしまったことを理解しているだろうか。

 第四に、統治行為論について、裁判所は介入すると見せて正面から議論することなく回避した。
 再三にわたって対話を促そうとした酒井良介裁判長の発言はいったい何だったのかと、今となってはその真意を疑うほかない。司法の判断には馴染まない、政治によって解決すべきとの言及は、日米安保と憲法9条との矛盾について長く法廷論争をタブーとしてきた「統治行為論」への逆説的な介入を期待させたのではなかったか。
 しかし判決では、「本件訴えは、SACO最終報告に基づく北部訓練場の返還により影響を受ける地域住民との間の法律関係に関する紛争にとどまるものではなく、日米安保条約に基づき、特に沖縄県内に米軍の基地および施設等が多数存在しているという現状を背景とするものであって、司法権の行使によって本件の紛争やその背景にある社会的実体の抜本的解決を図ることができる性質のものとは考え難いが」と、非常に難解で回りくどい言い回しによる三重の留保が、その敗残の形見としてわずかに垣間見えるに過ぎない。
 ここまで言い及びながら、しかし法廷が、果敢に新しい司法判断を拓くことは、ついになかった。いっぽうで、国に対話を求めた裁判長の姿勢は、たとえ三権分立が制度として成熟しているとは言い難い日本にあっても、政治による解決に、果たして司法が介入する余地があるのかという疑問も残した。権限のない領分についての発言は、高潔な動機によるものであると信じられ尊敬に値するが、徒に期待を抱かせただけに結果として酷薄であったと言わざるを得ない。

 ところで第五に、この裁判は、この国における「受忍」という言葉の装置を暴露するに及んだ。
 合理性のない軍事基地施設の建設に反対し正当に非暴力で抗議する住民の行為を司法の秤にかけた今回の判決で、被告の行為による不利益は原告、すなわち国が「受忍すべき限度を超える」と断罪した。驚き呆れるではないか。
 沖縄はこれまで65年以上に及ぶ「受忍」を強いられてきた場所である。日米関係の峡間で「例外状態」を強いられ、権利を剥奪されてきた場所である。「受忍」とは国策に対して特定地域の住民は受忍せよとの文脈で濫用され、この国の放射能政策と日米安保政策を偏在的に押しつけられた地域が砂を噛む思いで体験してきた言葉である。ところが国については、その受忍の閾値はかくも低く設定され、裁判所がこれにお墨付きを与えたのである。

 第六に、この裁判と判決は、沖縄において日本という民主主義の制度が形骸化していることを、これ以上ないほど明らかに決定づけるものとなった。
 法廷には「クリーンハンズの原則」と呼ばれる信義則がある。法の保護を求める者はまず自らが法を遵守する者であることが当然求められている。夜明け前に住民の目を盗んで高江の現場に重機を運び込み、不備だらけの辺野古の環境アセスメント評価書入り段ボール箱を県庁に運び込む夜盗を特技とする沖縄防衛局は、その汚い手で、法廷の庇護を掠め盗ったのであり、那覇地裁の判決はこれを追認したのである。
 施政権返還に因む数々の密約の露見、レイプ言説で表面化した官僚の支配欲望と自己決定する沖縄への憎悪、辺野古の環境アセスメントをめぐる帰趨、SACO合意の背後で隠蔽された日米軍事同盟強化の野望。選挙による政権交代や裁判による遵法闘争の幾多を積み上げても、沖縄の民意はねじ曲げられ黙殺され踏みにじられ続けてきた。沖縄において制度としての民主主義は機能不全を起こしている。この法廷はその機能不全の事例として、またひとつ歴史に記録されたということだ。

 民主主義が、予め出来上がった形で存在したことはかつてない。民主主義とは、あまねく人びとがその実現を希求し市民としての権利を要求することによってのみ洗練されてきたものである。すなわち、抵抗することこそは、市民であることの表明に他ならない。

 わたしたちはみなすべての「安次嶺現達」であり「伊佐真次」である。
 わたしたちはみな世界のあらゆる場所における「高江住民」である。
 昨日の私たちの友が、不当に法廷に引き出されたのであり、明日の私たち自身が、不実なる判決を下されたのである。

 すべて抵抗する私たちは、自分の身に起こったこととして、この判決を受けとめ、歴史的経験と想像力と豊かなジンブンを手段として抗議しなければならない。


 2012年3月14日
 合意してないプロジェクト

賛同署名(順不同、随時追記します)
阿部小涼(琉球大学) 森啓輔 戸邉秀明(東京経済大学) 新垣誠(沖縄キリスト教学院大学) 柳田敏孝 徳田匡(東京大学大学院総合文化研究科博士過程) 東琢磨(音楽批評) 大城ひさこ(うるま市) 上原こずえ(東京大学大学院) 田崎真奈美(monaca) 當山和美(那覇市) 真喜志好一(建築家) 鳥山淳(沖縄国際大学) 堀真悟(早稲田大学大学院) 高橋進之介(オーストラリア国立大学) 平松美樹(札幌市) 村上陽子(東京大学大学院生) 田仲康博(国際基督教大学) 松田潤(一橋大学大学院) 仲渡尚史(沖縄・生物多様性市民ネットワーク) 岡本由希子(群島舎) 佐藤泉(青山学院大学) 西脇尚人(OAM 沖縄オルタナティブメディア) 内海恵美子(琉球大学) 吉里さよ(福岡市) 上間かな恵(佐喜眞美術館) 照屋勇賢(ニューヨーク) 高雄きくえ(ひろしま女性学研究所) 上村崇(シャリバリ地下大学) 岡田健一郎(学生) 児島博紀 可知亮(死刑廃止フォーラム90東京) Miyume Tanji(Australian National University) Gavan McCormack(Australian National University) 新城郁夫(琉球大学) 萩谷海(オークランド・No Nukes Action) 桜井国俊(沖縄大学) 星名宏修(一橋大学) 鍋島茂樹(広島県) 松原秀臣(名古屋市) 中村優子(失業者) 持木良太(大阪府立大学大学院生) 由井晶子(ジャーナリスト) 佐藤まきこ(大分市) 秋林こずえ(立命館大学) 森美千代(フォークパルチザン) 仲田晃子(那覇市) 芳沢あきこ(基地のない平和で豊かな沖縄をめざす会) 殿平有子(Todos Somos Japon) 北上田毅(那覇市)、北上田登久子(那覇市) 大湾宗則〈京都沖縄県人会〉 浦島悦子(ヘリ基地いらない二見以北十区の会) 我部聖(沖縄大学非常勤講師) 小池まり子(東京外国語大学大学院) 池側恵美子(大阪市・ジュゴン保護キャンペーンセンター) 土井智義(大学院生) 武市常雄(反戦老人クラブ・京都) 渡瀬夏彦(ノンフィクションライター) 高松恭則(東京都) 浜邦彦(早稲田大学教育学部) 松原康彦(三里塚決戦勝利関西実行委員会) 川口隆行(広島大学) 気賀健生(青山学院大学) 畠山照子(東京都世田谷区) 平井玄(地下大学) 西泉(沖縄大学) 田場祥子(VAWW RAC) 田場洋和(練馬・文化の会) 堀池正次郎(滋賀) 井上澄夫(北限のジュゴンを見守る会) 志茂美栄子(北限のジュゴンを見守る会) 大畑豊(埼玉県志木市) 林田力(『東急不動産だまし売り裁判』著者) 歌野敬 田中慶子 田中和恵 豊島耕一(佐賀大学理工学部教授) 大橋真司(静岡市民) 横田英明(憲法を守る市民の会・群馬) 須田稔(立命館大學名誉教授) 青木茂(万人坑を知る旅) ぅきき(台湾師範大学) 木村厚子(岐阜県) 安次嶺美代子(宜野湾市) 伊佐由貴 友寄元樹(R大生) 東金嶺しおり(石垣市) 百次智仁(大学院生) 平安名健吾(琉大生・浦添出身) 知念勝美(高校教諭) 金城勇作(琉球大学生) 新城綾子(小学校教員) 宮城晴美(大学非常勤講師) 増田博光 寺尾光身(八潮市、元理系教員)



「お名前とご所属や市町村など、末尾の署名欄を参考に括弧書きで表記したいものあればどうぞ。
宛先 合意してないプロジェクト admin★projectdisagree.org (★をアットマークに変更)」
とのことです。また、
「声明と賛同者名は、合意してないプロジェクトWebにアップします。
http://www.projectdisagree.org/2012/03/slapp.html
また、機会を捉えて出版物、配布資料などに使用します。」
ということです。主旨に同意する方は是非どうぞ。



posted by タネ at 13:32| Comment(0) | 逃走分子市民 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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